四徳:婦徳・婦容・婦言・婦功

つい先日、女子大の大学院の事務をしている娘から、現代の学生気質を伺わせる話を聞き、その話題の主人公に年甲斐もなく激昂してしまいました。

話によれば、すでに春休みに入った今、いつも見かけない子が何やら作業をしているので、「何をしているん?」と聞いたところ、頼まれて抄録に掲載する修士論文の要約をまとめているとのこと。

「誰に頼まれたん?」と聞くと、ここまでも先生や職員にさんざん迷惑をかけて何とか取り繕った修士論文(この時点で僕なら退学処分にしますけれど)を出した子だったとか。
そのご当人は、彼氏と海外バカンスに行っているそうです。

娘は、間髪を入れずに「そんなことせんでよろしい!」と即刻作業をやめさせ、ご当人に
こんな姿勢と態度、人間としてどうなん?自分で書いて20日までに提出しない限り抄録には載せない。」と引導を渡すメールを打ったそうな。

「すみませんでした」と謝りの返信はあったようですが、当然、海外だから帰ってきて提出することなどするはずもないでしょうね。

その修士論文でさえ、担当教授や娘が連絡をとろうとしても全く電話に出ずに音信不通。
かと言って進んでいることもなくほとんどできていない状態で、スッタモンダで出したとか。

娘も、初めてのことならまだ善処もしてあげたいけれども、これほど頻繁だともう問題外と今回は完全に切れたそうです。

担当教授はもうゼミに居てほしくないし、かと言って学位を与えないと大学側も今度は大学院としての資格の問題も出てきますから、ついつい甘くなってしまうというジレンマを抱えているのでしょうね。

まぁ、この辺りがその辺の大学院の実情なのかもしれませんが、こんなことでいいのでしょうかね?

僕なら大学側と喧嘩してでも退学処分にするところです。
世間ではディプロマミル(偽学位)で箔をつけたい人も数多居ますけれども、同じく、こんな輩が正式な修士として世間を渡っていくなんてことも許されていいはずがありませんから・・。

能力と誠実さえあれば学位なんか無くとも堂々と生きていけばいいんですよ。

まぁ、このご本人のような他人に迷惑をかけていることも分からないような人間は問題外としても、「こんなんで修士?」レベルの人間に修士号を与えざるを得ないのはそのあたりの大学院では日常的なんでしょうが・・・。

学術用語ならまだしも、常識的な用語も知らない、漢字が読めない・・・。
そんな話を山と持って帰ってきます。
同じ修士でもその教養たるやピンキリではおそらく百億光年ともいえる差があること明白です。

この頃はネットでも修士論文を見る機会がありますが、「こんなんで修士?」というレベルも多いですね。

特に人文系諸学では、適当にアンケートして機械的に統計手法を使って作文しておけば何でも論文になっちゃう時代ですしね。

職員である娘の方が教授から博士号を取れだの大学で教えろだのとさかんに勧められるのも頷けちゃいます。


ところで、僕たちが学生だった頃は、女子学生の真面目ぶりは際立っているように見えました。(今でも変わりないはずですが…)

けれども、大学が大衆化するということは、女子学生においても勉学に対する不真面目層を受け入れるということですから当然の現象ではあるわけですね。
男も女も両極端に二極化しているということでしょう。

ですから、今は、大学院や大学のマスの問題よりも、男女にかかわりなく、いみじくも娘が言ったように「人としてどうなん?」という点を教育の場で鍛錬していかねばならないという思いが強くなります。

昔、中国では女性が備えるべき四徳として、【婦徳・婦容・婦言・婦功】の4つの教えがあったそうです。

四徳とは、広辞苑によると、
《「礼記」昏義から》婦人に教える四つの徳目。
婦徳(貞順)・婦言(辞令)・婦容(婉娩)・婦功(糸麻)。四行。四教。

とされています。

この教えは、貝原益軒の『和俗童子訓』においても、「女子に教ゆる法」として詳しく解説されています。

  1. 婦徳・・・心立ての善きこと
    • 心貞 (ただ)しく・・・心正しく
    • いさぎよく・・・心清らかで
    • 和順なる・・・気質が穏やか
  2. 婦言・・・言葉遣いの善きこと
    • いつはれる事をいはず・・・嘘・偽りを言わず
    • 言葉を選びていひ・・・言葉を選んで離し
    • にげなき悪言をいたさず・・・不適切な悪口を言わず
    • いふべき時いひて・・・言うべき時に言い
    • 不用なる事をいはず・・・不要なことを言わず
    • 人其いふ事をきらはざる・・・相手を不快にしない物言い
  3. 婦容・・・身だしなみの善きこと
    • あながちに、かざりをもはらにせざれども・・・必ずしも飾り立てず
    • かたちなよよかにて・・・容姿しなやかで
    • おおしからず・・・勇ましくなく
    • よそほひのあてはかに・・・身なりが上品で
    • 身もちきれいに・・・立ち居振る舞いもきれいで
    • いさぎよく・・・行いも潔く
    • 衣服もあかづきけがれなき・・・衣服は清潔に保つ
  4. 婦功・・・努めるべき仕事に励むこと
    • ぬひ物をし・・・縫物をし
    • うみ・つむぎをし・・・糸を紡ぎ
    • 衣服をととのへて・・・衣服を整え
    • もはらつとむべきわざを事とし・・・ひたすら努めるべき仕事に励み
    • 戯れ遊び・わらふ事をこのまず・・・遊興にうつつを抜かさず
    • 食物、飲物をいさぎよくして・・・飲食に執着せず
    • 舅・夫・賓客にすすむる・・・人(舅・夫・賓客)に勧める

新島八重 武家の女はまつげを濡らさない
新島八重
武家の女はまつげを濡らさない

男尊女卑の代名詞ともなっている『女大学』は、この儒学者貝原益軒の『和俗童子訓』が元になってると言われていますね。

確かに、女性の徳目として限定したという点で前時代的な考えとなる点が多々出てきますが、今、性別を限定せず人としての徳目として眺めると、実に深みのある普遍的な言葉として見えてきます。

第1回でご紹介した、マザーテレサが引用したという言葉とも、その意味するところで同じものが見えてきます。

だからこそ、西洋合理主義からは生まれ得なさそうな東洋の思想には、ある意味、世界を救う可能性があるのだと思います。

儒教や仏教発祥の地ではないにしろ、日本はそのリーダーになれる気質を持っているのに…と考えるのは僕だけでしょうか?

さて、上の『四徳』は簡単に表してしまえば、

  1. 婦徳・・・品行方正・温厚篤実の気質
  2. 婦言・・・美しい言葉遣い
  3. 婦容・・・美しい立居振舞・身だしなみ
  4. 婦功・・・亡己利他の心遣い

ということに要約できるのではないかと思います。

中でも、特に現代において目につくのは【言葉の汚さ・言葉の嘘】ではないでしょうか?

ネットの一部でも汚い言葉が横行しているようですが、立派なビジネス社会においてすら『嘘でも何でも言ってしまった者勝ち』の風潮を感じます。
そういう状態に慣れきってしまうと、その汚い言葉が人を作り始めるのですね。

こういった人々は、主義や主張とは全く関係のないところで、おそらく自分の不幸感や退屈感が他人や多民族への攻撃あるいは嘘で人を操る優越感に変質していくのではないかと感じるのです。

いくらでも為すべきことがあること知っている人は、その挑戦意欲と充実感で幸福感を味わえますから、品のないことを考える余地すらないのではないでしょうか?

次に、日常生活の婦功(婦工)は亡己利他の心遣いがあれば、家庭においては家族の誰もがなせることですね。
いろんな意味で過酷な狩猟に出るのは、今や男も女も同じですからね。
そして、社会の中では、自分のすべきことは自分がするというただそれだけのシンプルなことです。

それを、冒頭で述べた院生のように、自分が遊びたい欲望を自分の責任でやるべき自身の務めよりも優先し、それが周囲にどれだけ迷惑をかけるのかも想像できず、他人を利用して代行してもらうような(バイト代として報酬を払う約束があるのかどうか知りませんが)、自分の分際すらわきまえられない人間が、温かい家庭を作れるはずがないことはもちろん、ましてや社会の為に役になど立てるはずがないでしょう。

やるべきことを真剣に努力しないから、退屈で退屈でしようがない。
だから、年中慢性的に遊びに興じるか人を貶めることに快感を覚える。
そして、心の深奥ではますます空虚感を強めて不幸感に囚われるという悪循環に陥ってしまうのでしょう。

耳にした女子大学院生の姿勢から感じたことで、四徳の【婦徳・婦容・婦言・婦功】を想起し、とりとめもなく書いてしまいましたが、ここでも、ごく平均的な私たちの日常生活の中では、自分がやるべきことは自分がやるという当たり前の基本的なことをせずに、『幸福』だけを手に入れられるはずはないという結論が出るばかりです。