本記事は、【Something True & Roman】のコーナーにおいて、2011.08.01にアップしたものですが、このシリーズの中にも相応しいかと考え収録した次第です。


間合い・TPO・節度を巡る「美」の断章

メールマガジン【ICL Crystal Collabolation 21】から10年以上の時空を横断して、「美」や「愛」や「子育て」など特に女性の皆さんに興味がおありだろうテーマを流し込みつつ、久々に本コーナーを復活させていきたい気持ちが湧き上がって来ました。

と言いますのも、実は、一昨日は僕の誕生日だったのですが、その日に、当方のサイトで運営するオンラインショップの上得意のお客様である女性から、何と誕生日のお祝いをいただいたのがきっかけなんです。

しかも、高価なお品を頂戴し、ただビックリしてしまった一方で素直に嬉しくもありました。
他愛もないといえば他愛もなく、不純といえば不純な動機ですかね。

ちょうどその日の到着指定でお買い上げ頂いた商品をお届けすることを受注メールに書いた際に、その日が僕の誕生日であることを、うっかりと筆を滑らせてしまったのですね。
もちろん、そんなお気遣いをいただくとは夢にも思わずにですよ・・・。

もちろん、お礼のメールを差し上げたのですが、今年はお母様はじめ身内の方のご不幸が続かれたそうで、そんな折に、同じく母を亡くした僕の言葉に励まされたこととショップでも大変お世話になっていることで、隙あらば、何かをお送りしたいと思っていましたと仰っていただきました。

僕は、ショップ運営でも、お客の皆様にはお店からとしてはあまり深く関わらない主義なんです。
これは、自分はお店に行っても店員に付きまとわれるのは嫌だからという理由からなんです。
言い換えれば、適切な距離感を保ちながら心配りするというスタンスが理想だと思っているのです。

ですから、普段は、会員様への定期連絡以外は、ショップのお誘いメールを送るなどということは全くしませんし、ましてや個人的なご連絡をすることもありません。
ただ、受注時のみにコンタクトするのみなんです。

そんな中でも、長年お付き合いしていますと、雑談のようなことも書いたり書かれたりするようになりますから、それで、ある程度親しくなったり心が通じるケースも少なくはありません。

ネットなので、少なくとも僕の方はお顔も分かりませんが、ネットがなければ絶対に縁がなかったであろう方とこんな風に繋がれるってことがとても嬉しく得をした気分になれます。
逆に言うと、変な人や店と繋がると怖いということにもなりますし、心がマイナス方向に引きずり込まれるということもあり得るかもしれませんね。

ともかくも、今や1歳ぐらいの誤差で何歳になったのかが曖昧になるぐらいの年齢になった中、今年の齢は正確に思い出に刻まれることになりそうです。

さて、かねがねから、化粧品を販売するショップである以上、「美」や女性の方に役立つテーマを書かねばならないと思っていたのですが、今回の出来事を契機に、お客様との長年のお付き合いの中から常々感じ、無意識に再確認していることを書きたいという思いが募ってきたわけです。

長年ショップでお付き合いさせていただいている会員様は、実に皆さん素敵な女性が多いですから、たまたま彼女のことから思い立ったにすぎないことだけお断りしておきます。

まぁ、僕は、仕事上は男の世界でしたけれども、特に女性が苦手ということもありません。
が、それでもちょっと緊張はしますね。

10年ちょっと前ですか、将来のためにFAX塾の布石を打とうとしたことがあり、(時流として早すぎたかな?)、そのとき集まったのが女子高生ばっかりでして、それが、結構兄貴分みたいな存在としても価値があったようで自信を深めちゃったりしていましたが、ここまでオッサンになると???

さて、つまらない話はここまでにしておきます。
僕は、学生時代の頃から「美学」という言葉を好んで頻繁に使うのですが、いつもその根幹に鎮座しているのは「間(間合い)」「節度」という言葉なんですね。

「間(間合い)」といっても、漫才のボケと突っ込みの「間」といったような意味合いだけではなく、人間の相互関係における時空的 “between” といった広い意味で捉えていただければ幸いです。

恋愛関係や夫婦関係や子育てにおける親子関係や生きていく上で繋がる全ての人間関係におけることとして、この二つが「美」の根幹ではないかと僕は思っているんです。

美のフィロソフィー

「間合い」、「間」という言葉は、英語では様々に表現できるのですが、人間の行動なる側面から見ると、最もフィットした言葉は “pause” という言葉だと思うんですね。

レコーダーに付いている「一時停止」ボタンの “pause” ですね。

話しているときだけに限らず、人と人との関わり全般について、ポッと一時停止する感覚。

あまり停止し過ぎると、これは「間延び」になってしまいますから、微妙なんですけれど・・。

このタイミングをどう受容するのかは、微妙には個々人のフィジカル的リズムあるいは周波数に依るといったような表現しか見つからないのですが、人間共通に心地よいと感じるレンジが本来的にあると思うのです。
そして、この「間合い」こそが、実に、相互の関係性を「美」で包んでくれると思うわけです。

「間合い」ということを「美」の断章の一つにしたのは、今回プレゼントを頂いたお客様との普段のお付き合いの中で、常々僕が抱いていた印象が「TPO」に優れた方だということであったことから想起されたからなんです。

「TPO」というのは、ファッション関係などでよく耳にされるのではないかと思いますが、
“Time” “Place” “occation” なる三要素のことですね。

すなわち、時と場所と場合に応じてチョイスするということを示すわけですが、彼女への印象で言わせて貰うならば、もっと本質的な感覚であり、時間と空間を臨機応変に利用するスタイルということを指したいわけです。

彼女の場合は、注文されるときも自分の希望納期から逆算して、しかも誤差を見込んで、注文をして来られます。
これには、いつもながら感心させられているわけです。

物を購入するという一連の作業が、ちゃんと設計されているんですね。
しかも、販売者側にストレスを欠けないようにと配慮されているのを感じることができるんです。
「間合い」や「TPO」とは別物だと思われるかもしれませんが、僕は時間管理も「間合い」や「TPO」の同位体ではないかと感じているのです。

バラの美

決して人に流されることなく、かと言って無理をせず、自分の自然体で自分のスタイルを確立されているという印象をずっと抱いていました。

ベルマン化粧品では、「三面美容」なる言葉で、精神の美しさも強調されるわけですが、例えば、こういった「間」をうまく使えるってことは、精神面でのケアも普段から積層されていないとなかなか出来ないことなんだと思うんですね。

だって、相手のことを考えないと、「間」なんて普通完全に意識外になってしまいますからね・・・。
たとえ同じことを繰り返すにしても、時と場所と場合によって判断するってことはすごいことですからね。

また、これは無駄なく合理的に処理しようとか、これは少し立ち止まって一呼吸おいてから如何に行動するかを決めようとかの判断をしていく賢さを伴わなければ出来るものではありません。
そういった賢さに伴って「間」を上手く使える人の美しさは自然と滲み出てくるのでしょうね。

まさに僕たちは、時間と空間の中で一生を送っているわけですから、TPOに優れたライフスタイルを持つことが理想と言えます。
それで、「TPO」→「間合い」といった順路で「美」をまとめたいと思った次第なんです。

昨今は、携帯の普及で、恋人にしろ友達にしろ、いつでも連絡が取れるという状況がありますよね。
まぁ、どこに行っても、歩きながらメールしたり電話したりしている姿が溢れています。
歩きながらにまで、一体誰にメールや電話をする必要があるのかと、いつも不思議に思うのですが、これって、TPOを台無しにしている代表格の行動ではないですかね。

歩くときは、姿勢を正してシャキっと歩くだけでもダイエット効果も出るでしょうに・・。
しかも、これでは、久しぶりに会う喜びなんて感覚は無くなってしまいますよね。
いつでも同じような日常性の延長でしか接することが出来ない人間関係って貧しくないですか?

言えば、相互の人間関係がいつも連続的に手繰り寄せることができる現実としてあり、そこには時間的にも空間的にも「間合い」、「間」というものの入り込む隙がない。

便利さは、ありがたいことなのでしょうけれども、少し一時停止してみる機会が駆逐されてしまう。
久しぶりのワクワク感やドキドキ感といった非日常性を味わう機会が喪失されてしまう。

世の中と同じように、人と人との繋がりにおいても、せわしなさを伴い、お互いの気持ちを慮ったり、自分のあり様を見つめたりする一時停止の時間を喪失してしまうことは何を意味するでしょうか?

「間」を考えない(=一時停止をしない)代わりに、思考が停止し、思い遣りが停止するのではないかと僕は考えてしまいますね。

そして、「間合い」は、当然「節度」ということと密接に関係性を結ばざるを得ません。
何故なら、「間合い」とは、”pause”することであり、行け行けの気持ちを一時停止する制御を心の中で働かせるということですから・・・。

ところが、携帯になると、相互間のどちらもが受け入れ態勢万全などころか、待ち遠しいことですらあるわけですから、もう果てしない連続性と日常性の海の中に安心号という舟で漂うわけです。
当然、よほど自分を律することがなければ、そこには「節度」という敷居は、自然とどんどん低くなっていくことでしょう。

サフラン-節度ある美

世の中、個性の時代と言われながら、実は、自らがTPOを意識したライフワークを設定することが難しくなっているように見えますね。

何かが流行ると、誰もがそれを目がけて殺到するのも僕は没個性としか見えないのです。

傍から見ると何か見苦しいとすら思えるのに、本人は自分のTPOだと得意げに思っているのかもしれません。

本当にそれが自分らしいことなのかどうか?
本当に自分を一番美しく表現できているのだろうか?

そんなことを、ちょっと立ち止まって考えてみること、”pause” してみることも必要なのではないでしょうか?

人を美しいと感じるとき、そこには時空のバランスが取れた「間」と「節度」を見るのです。

原子は、質量の大部分を占める原子核が、自分の大きさの1万倍もある軌道上の電子と微妙にバランスして原子であり続けます。
まさに、宇宙と相似の美しい秩序を見る思いがします。

ちょうどこの上に飾ったサフランの花言葉は、「控えめな美」、「節度ある美」だそうです。


ドイツの哲学者ショーペンハウエルの寓話『ヤマアラシのジレンマ』に、このことが上手く表現されています。

寒空の中、ヤマアラシはお互いに暖めあおうと近づきますが、近づきすぎるとお互いの針が刺さって痛いですし、近づかないとお互いに寒いというお話。

【お互いの適切な距離感・隔たり感が気持ちの良い共同生活のための礼節である】という教訓。

共に暮らしていく中での人間関係は難しくもあり、面白くもあります。
親子・夫婦・友達・会社などの共同生活において、【みんなとともに豊かに生きる】ということを静かに賢く考えたいものです。